ありがちなおはなし
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・日常の疑問

おはなしの中では『寝言』というものがよく書かれている。
お腹いっぱいでもう食べられないとつぶやく、だとか、密かに思いを寄せている相手の名前を呼んでしまう、だとか。
実際にそんなことがあるのだろうか。
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・前置き

明日の夜まで彼女の両親は町の外に出かけていて、彼女は一人で留守番だ。
両親には平気だよと笑顔で言っておいたものの、一人きりの留守番が怖くないといえば嘘になる。
こんなときは友人を頼るしかない。
彼女にとって、その友人は兄のようなものでもあり、いろいろと頼りになる存在である。
ときどき、妙な発明品の実験の片棒を担がされて、翌日女学校で二人して話題のひとになることもあるのだが。
電話で彼に今日の事情を説明すると、彼は二つ返事で引き受けてくれた。
明日は日曜日だから学校の心配はしなくていい。
鞄に着替えやら宿題やらを詰め込んで、彼女は彼の家に出かけていった。
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・夕飯時素描

「うえー」
「さっさと食べなさい」
「無理無理。無理だって」
「酸っぱいのやら苦いのがだめなのはお子様だな。
 コーヒーとか酢の物とかおいしいと思えるのが大人」
「おこさまでいいよ、酢の物苦手なんだよ」
「ごちそうさま。さて、俺は冷やしておいたビールでも飲むかな」
「なんだよ大人ぶって」
悠々と台所にビールを取りに行く彼の背中をにらみつけ、彼女は顔をしかめてきゅうりの酢の物を一気にかき込んだ。
なんとか飲み下したものの、口の中が痺れるような酢の味に「うー」とか「くー」とかうめいて悶えていると、
ビール瓶とグラスを手に戻ってきた彼が、にやにやしながら湯呑みに熱々のお茶を入れて差し出した。
「よくがんばったナーシャ君。兄ちゃん感動した」
「猫舌なのわかってやってるでしょ。信じられない!」
思惑通りに憤慨する彼女を見て、彼は畳の上に突っ伏してうひゃひゃひゃと大笑いした。

泊めてもらう代わりに食べ終えた後の洗いものを彼女がしている間、
彼はそばの椅子に座ってビールを飲みつつ、にこにことその様子を眺めていた。
「くるくるとよく働いて、お嫁さんのごたる」
『お嫁さん』に反応して、彼女がぴょこんと振り向く。
「お嫁さんにもらってくれるって?」
彼は苦笑し、手をひらひらと振ってみせた。
「12の娘を嫁にもらうほど困窮しとらせんって」
そう言ってから、彼はグラスの残りのビールを一息に飲み干した。
そして、よっこらせと立ち上がり、流しに立っている彼女のところに行って、空になったグラスを手渡す。
「ナーシャ泊まるの、向こうの部屋でいいな。ちょっと布団敷いてくる」
「ありがとう。お願いするよ」
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・寝る前のひそひそ話

とんとん、と遠慮がちに部屋の扉を叩く音がした。
読みかけの本を枕元に置いて、彼は布団から身体を起こす。
「どうぞ」
扉の端が少しだけ開き、小さな手が現れる。
その手が横に扉を押して、さらに開いた隙間から華奢な腕が見え、その後ろから彼女が顔をのぞかせた。
「ちょっとだけ、いい?」
「どしたんな」
彼女はするりと部屋に入り込み、彼に背を向けて扉を音をたてないように閉めてから、くるりと向き直った。
何だかいつもよりさらに小さく見える。
そう見えるのは耳を伏せているからだと彼は気付いた。
彼女は左右の指と指をよりあわせて、少しうつむいたまま、ぼそぼそと答える。
「ラジオでやってた宇宙人特集を思い出したら、眠れなくなってしまった」
「よりによってそげなん思い出さんだって良かろうに」
「いっぺん思い出してしまったものは仕方ないでしょ」
そう言うと、彼女はその場に膝をついて、のそのそと彼の方に這ってきた。
有無を言わさず布団をめくり、そのまま脚を突っ込んでくる。
「あーうー、寄るなー、暑苦しいー」
彼女の入ってきた方向とは反対側に、彼はごそごそと移動する。
「暑がりなのはわかってるよ。でも怖いんだ。ごめん」
彼女の小さな手が枕元のランプの灯りにひらめく。
自分が彼女の歳だったら、と考え、彼は布団から出るのを思いとどまった。
彼女は彼の隣に身体を落ち着けると、肩まで布団を引き上げて、彼をじいっと見上げた。
工専を卒業して帰ってきてからは彼女に添い寝なんて一度もしたことがないが、
思い出してみれば、それ以前は、怖がりの小さな彼女のお昼寝によく付き合っていたし、
彼女の家に彼が泊めてもらうときには、彼女が布団に潜り込んできて「おはなしきかせて」ということもしょっちゅうだった。
それと同じことだな、と彼は納得し、彼女にならって横になり、肩まで布団を引き上げた。
「ありがとう」
「いやいや、確かに宇宙人は怖い。
 明日の朝ナーシャがおらんごとなっとったら俺の責任やけんな」
彼は冗談のつもりで言ったのだが、彼女は真顔で大きく頷いた。
「ひとりで寝てるところに、窓の外にUFOが降りてきてびかーって光って、小さい宇宙人が壁すり抜けてこっちに来て、
 痺れる光線銃使われて身動き取れなくなって、UFOにそのまま運ばれて、手術台に縛り付けられて、
 目が覚めてるのに改造手術されて、頭に何か金属片を埋め込まれてしまうんだよ。怖いよね」
彼女が聞いたのと同じラジオ番組を彼も聞いていた。
有名な目撃談や体験談がいくつか、不気味な効果音付きで淡々と語られるという番組だった。
彼女の妄想がそれぞれの話の怖い部分の寄せ集めになっていることに彼はすぐ気付いたが、
そこを指摘しても別に彼女の恐怖心が薄らぐわけでもなさそうなので、とりあえず彼女に同意しておいた。
「まあな、わからんでもない。
 夜、庭先に来るかもしれん、とか、さらいに来るかもしれん、とか、小さい頃はよく考えたもんだ」
「今は怖くないの?」
「今も怖いが、小さい頃みたいには怯えんごとなった気がする」
実のところ、心底宇宙人に怯えていたのはいつまでだったか。
思い出せないことに、彼は気付いた。
これが大人になるということだろうか。
「あのさ。さらう宇宙人だけじゃなくて、いい宇宙人もいるよね。一緒に宇宙船に乗って、いろんな星を見せてくれるような。
 そういう宇宙人だったら、私、会ってもいいよ。モナムソンもそう思わない?」
すがるように、いい方向に考えを持っていこうとする彼女が可笑しくて、つい彼は意地悪を言いたくなる。
「さあ、それはどうだろう。
 確実に文化が違うだろうから、向こうの好意がこっちにとって良いものかどうかはわからんぞ」
そこまで話して、さっき読んでいた本に出てきた大食らいの猫型宇宙人を思い出す。
「たとえば、相手を食べることが最上級の愛情表現、とか」
「やだっ、食べられたくない」
肩の辺りを平手で叩かれた。痛くも痒くもない。
彼は余裕の笑みを浮かべる。
「異文化交流は難しいですね」
「モナムソンのばか、余計に眠れなくなったじゃないか」
彼女はわめき、身体を寄せてきたかと思うと、いきなり彼の首元にぎゅうと抱きついてきた。
予想外の行動だ。
「うおっやめろやめろばかくっつくな俺が眠れんごとなるやねえな」
すぐに彼女を引きはがそうとしたが、手当たり次第につかんだ彼女の肩があまりに小さくて、彼はおそれおののいた。
力任せにやったら間違いなく痛いと泣かれそうだ。
仕方なく慎重に押しやろうとしたが、これはまったく効果がなかった。
「怖い話する方が悪い。私より先には寝かせない」
どうやら自業自得ということらしい。
「宇宙人よりナーシャが怖じい」
「レディに何て言葉を! 罰として、ぎゅってすること」
「ば、罰……?」
「後は自分で考えるんだ」
「い、いや、だが、しかし、……」
彼女の不気味なまでの沈黙に気圧され、彼はおそるおそる彼女の背中に腕を回す。
「こ、こうですか? わかりません!」
「よろしい。わかってるじゃないか、モナムソン君」
満足げに言うと、彼女はけらけらと子供らしい笑い声を立てた。
「私がいいって言うまで絶対離しちゃだめだからね」
腕の中の彼女は、春先の日なたのようにあたたかくて、たんぽぽの綿毛のようにふわふわと柔らかく、
桜餅のような薄甘い匂いがしている。
彼のすぐ目の前で丸い耳が時折ひょこりと動く。
見ているうちに、その丸い耳がつきたての餅に見えてきて、慌てて幻を振り払う。
何か話をして気を紛らわせようと、彼はぼうっとなっている頭を必死にはたらかせる。
「女の子同士でお泊まりってきっとあれだな。
 お風呂一緒に入ってきゃーきゃーだとか、一緒の布団に寝て夜通しお喋りだとか」
「ないよ。何幻想抱いてるんだ」
魅惑的なあたたかさに反してつららが飛んできたかのようで、彼は少しだけ目が覚める。
「畜生、悪かったな」
「他のひとにそんな幻想言っちゃだめだよ。間違いなく引かれるよ」
「そんな憐れむような目で俺を見らんでくれ」
「大体モナムソンはいろいろわかってないことが多すぎるんだよ」
「たとえば?」
「ええっとねえ、……乙女心とか」
「俺にわかるわけがない」
「だから恋人がいないんだよ」
「おまえに心配されたくねえわ、このお子様め」
「あのね、本の中に出てくるお兄さんってみんな素敵でしょ。
 モナムソンはたくさん本読んでるのに、そういうのは全然学んでいないんだね」
「俺がお兄さん素敵とか思ったらそれこそ危険だろ」
「そういう意味じゃない」
「おまえは本の中のお兄さんに恋してろ、な!」
続けざまに反論が来ると彼は予想していたが、彼女は黙りこくってしまった。
眠ったんだろうか、と彼も黙っていると、しばらくして、少しだけ声をひそめて、彼女は言葉を返してきた。
「スヴェンさんはとても紳士で素敵だよ」
その声がどことなく憧れまじりの声に聞こえて、なぜか胸がちくりと痛んだ。
全部気のせいだ、と彼は無視した。
「そうかね。歳が離れているから紳士に見えるだけじゃなかろうか」
「モナムソンは全然紳士に見えないからその理屈は通らない」
「女の子とひとつの布団で寝ていても手を出さない! まさに紳士!」
「当然だよ! 何言ってるんだよ!」

たわいもない言葉を交わすうちにだんだん彼女の口数が少なくなり、やがて、規則正しい寝息がきこえてきた。
腕の中ですやすやと眠る彼女を見ていると、何だか離したくなくなりそうで、
彼は慌てて『ぎゅ』を解除し、ごそごそと布団から抜け出した。

彼女を抱え上げて、自分の部屋を出る。
そして、彼女が寝るべき部屋に入り、布団の上にそっとおろす。
と、はっきりした声が聞こえた。
「うわ。これは致命的な結果」
背中がぞわっとした。
手を離してもいいという許可はまだ出ていない。まさか寝たふりか。
まるで狂暴な野生の獣を相手にしているかのように、彼はびくびくしながら手を伸ばし、彼女の柔らかそうな頬に触れてみた。
……眠っている。
夢の中で何か実験でもやっているのだろうか。
それにしても『致命的な結果』はひどいな、と彼は笑い出しそうになる。
さっそく寝返りを打って布団を派手に蹴飛ばした彼女の上に、布団をかけなおしてやり、彼は静かに自分の部屋に戻った。